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2008年09月08日

対馬丸記念館 

夏休み真っ只中の8月11日 那覇西ブロックのみんなで
那覇市若狭にある対馬丸記念館を訪問しました。
対馬丸というのは、太平洋戦争終盤に沖縄から長崎へ向かった 
疎開船で、沖縄の民間人1800人弱が乗船していました。
その途中 鹿児島・悪石島付近で
アメリカの潜水艦の魚雷攻撃をうけ撃沈し、乗船した大半の方々が
犠牲になりました。そこには多くの学童も含まれていたそうです。
実際に 対馬丸が被害にあったのが昭和19年8月22日。
見学にいった日はとても暑い日でした。あの8月22日も
これと同じ太陽に照らされていたのでしょうか。
対馬丸は老朽化した貨物船だったため、
すし詰め状態だった船倉には窓もなかったそうです。
脱出経路も縄のハシゴだけ。
沈没までの数分間で船内から脱出することが
いかに困難で大変だったかを解説員の方が教えてくださいました。
記念館は、外観が船の搭乗をイメージできるような建物になっていて、
建物の中にも対馬丸の船倉の様子がわかるような展示物があります。
見学をしていた子供たちも、
自分たちと同じような年齢の子供たちが犠牲となったことを思い、
大人とともに戦争と平和を考えるひとときとなりました。
そんな子供たちから寄せられた感想の一部です



つしま丸きねんかんに行って、
わたしは、2階でつしま丸のことを見ました。
そのおはなしは、むかしの せんそうの おはなしでした。
ふねにのっている人たちは、おとなの人や子どもも、のっていました。
そのふねのうしろに、せん水かんがありました。
せん水かんに入ってる人は、
ふねの中に おとなの人しか のっていないと おもっていたので 
ばくだんをうつと ふねがしずんで、子どももなくなりました。
わたしは しぬのがこわくなりました。
n.n(小学2年生)


私は、対馬丸記念館で対馬丸のコトを勉強しに行きました。
それで、まず最初にスクリーンの映像を見ました。
その映像では、対馬丸に乗った男の子たちのお話でした。
私は、それを見て、その男の子は、とてもかわいそうだなぁ~と思いました。
戦争では、沖縄のいろいろな人たちが、なくなったことを知って、
とてもかわいそうと思ったコトと
私たちがどれだけ、幸せにくらしているかということを知りました。

また戦争をしない平和な沖縄にして行きたいです。
対馬丸記念館に行って、いろいろなことを勉強できてよかったです!
n.k(小学6年生)



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Posted by 沖縄なは子ども劇場 at 14:20│Comments(0)自主活動
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